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遠藤泰男「スムーズに引き出す接続詞」

2011/11/29 10:17

 

接続詞は言ってみれば、列車の連結器のようなものである。

連結器で各車両がスムーズにつながっていないと、列車の動きも悪くなる。

下手をすると、カーブのところで後続車両が脱線しかねない。

だいたい、連結器でつながっていないと、各車両がバラバラで、列車として機能しなくなるわけである。

適切な接続詞は、つぎの文をスムーズに引き出してくれるものだが、この接続詞のつかい方は微妙である。

原則としては、論理的に必要なところに限ってつかうべきだろう。

ただ最初のうちは、ほんとうに必要なものかどうかわかりにくいかもしれない。

そこでおすすめしたいのが、文章を書いたあと読み直すときに、接続詞を一つひとつチェックしていくことである。

つかっている接続詞をけずったら、意味が通りにくくなるかどうか、と見ていくといいだろう。

こうやって、不必要な接続詞をけずっていくだけでも、文章はかなりスッキリするはずだ。

その要領で、最初にあげた例も直してみてほしい。

 

遠藤泰男(著述)

カテゴリ: 本・アート    フォルダ: 遠藤泰男

 

起承転結は不要(遠藤泰男)

2011/11/27 14:58

 

日本には、昔から「起承転結」という文章作法がある。

これは漢詩の構成法に由来するもので、4行の詩(絶句)の場合、第1行の起句で詩想を起こし、つぎの承句で起句を受け、第3行の転句で詩型を一転させて、第4行の結句で詩想をまとめる。

この「起承転結」が日本人は大好きなのだが、詩や小説ならともかく、実用文では「起承転結」は困るのである。

というのも、「起」とそれを受ける「承」はいいのだが、「転」で読み手をとまどわせてしまうからである。

たとえば、有名な唐詩「春暁」を例にとってみよう。

「春眠暁を覚えず処々暗鳥を聞く夜来風雨の声花落ること多少なるを知る」の第1句では、春の朝の目ざめについてふれ、第2句では、鳥の鳴き声を用いている。

それが、第3句では一転して、そういえば、昨夜は雨風の声が聞こえたなあ、と思い起こす。

この「そういえば」が実用文では困る。

それまでワープロについて書いていたのに、急に洗濯機について書くようなものだ。

こんな調子では、パラグラフの一貫性が失われ、読み手は混乱するだけである。

にもかかわらず、日本人が書く実用文は、一つのパラグラフに、「転」が頻出する。

そのため、書き手も収拾がつかなくなり、「ところで」などと書いて、突然、別の話題をもちだすことが珍しくない。結婚式のスピーチでも、聞き手をイライラさせるのは「転」の多いものである。 遠藤泰男 カンドー ようやく話が終わるかと思っているとき、「ところで」と話を「転」じ、クドクドとやられたら、聞き手はうんざりするだけでなく、話の内容もさっぱりわからないということになりがちだ。

実用文に、詩の「転」の手法は通じない。

私は実用文の指導のとき、よく冗談まじりに、「詩は死に通じる」と言っている。

どうしても「転」の話題が書きたいのなら、別のパラグラフをつくって書けばよい。

 

遠藤泰男(著述)

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遠藤泰男「具体的な言葉に置き換える」

2011/11/26 10:23

 

「これ」「それ」は、具体的な言葉に置き換えること

「いろいろな色の花束だった」ではなく、「赤、黄、白の菊の花束だった」と明確にすることが、実用文ではだいじなのである。

つぎに、よく使われる、あいまいな形容詞・副詞の使い方をあげておく。

●高いビル…(六十階建ての超高層ビル)

●古い写真…(昭和二十年に撮られた写真)

●大勢の人が来館した…(約二万人が来館した。)

●至急お送りください…(本日午後六時までにお送りください)

●大幅に値引きする…(三割引する)

●彼はよく来る…(彼は三日に一度の割合で来る)

接続詞は、できるだけ少なくしたほうが文章がひきしまる。


文章を書く際、書き慣れない人が陥りやすいことの一つに、接続詞のつかいすぎがある。

たとえば、「私のこれまでの人生は、たいへん楽しいものでした。そして、いい思い出ばかり残っています。

また、人生で出会った方たちも、すばらしい方たちばかりでした。だから、私は幸せだとつくづく思います。

では、ここでこうした私の人生をふり返ってみることにします」

これは極端な例かもしれないが、これに似た接続詞過多の文章は、けっして少なくない。

接続詞は、文と文をつなぎ、前後の文を関係づけていくために必要なものだが、つかいすぎると、文章がまのびしてくる。

とくに「そして」「それから」などを多用すると、小学生の作文のようになってしまい、幼稚な文章というそしりをまぬがれないだろう。

逆に、接続詞をまったくつかわずに書いていくと、ブツブツとちぎれたような文章になるばかりか、文と文、あるいは、まえのパラグラフとつぎのパラグラフとの関係が読み手によくわからず、理解しにくい文章になってしまう。

 

遠藤泰男(著述)

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一つの話題、テーマで統一(遠藤泰男)

2011/11/23 13:18

 

「科学工業英語検定試験」という英文文書作成の能力をみる試験がある。

日本人が作成した英文が、英米人に理解してもらえるかどうかをチェックするもので、1級は、問題の作成も採点もミシガン大学で行なわれる。

その講評を見ると、毎年、つぎのような指摘がある。

ひとつの文は理解できても、パラグラフ全体を通して読むと、なにが言いたいのか理解できない。

つまり、日本人の多くは、「読み手が理解しやすいパラグラフで文章を書いていない」たしかに、日本人のパラグラフ(段落)に対する考え方は、ひじょうにあいまいである。

1つの段落からつぎの段落に移るときは行を変えるということぐらいは、ほとんどの人が知っているのだろうが、実際の文章を見ると、1文ごとに改行するような文章があるかと思うと、見開き2ぺージにわたって、まったく改行がない文章もある。

区切りの悪いところで行を変えているケースも多い。

なぜ段落をつけるのかというと、言うまでもなく、読みやすくするためである。

そのためには、1段落を1つの話題・テーマでまとめていくのが原則である。

「ワンパラグラフ・ワントピック」というわけで、これを守るだけでも、文章はたいへんわかりやすくなる。

その点、英文では、実用文だけでなく、新聞や雑誌の文章もすべて、「ワンパラグラフ・ワントピック」に徹している。

しかも、第1文には、かならず、そのパラグラフの総論がくる。

だから、長い文章を速読したいときは、各パラグラフの第1文だけ読んでいけば、内容の70パーセントは理解できるという。 カンドー 遠藤泰男 話題が変わっても、段落を変えずにそのまま続けたり、1つの話の途中で段落を変えたりするような文章では、こうはいかない。

よくまとまっていてわかりやすいパラグラフは、文と文の内容が統一され、一貫性がある。

このような関係にあるいくつかの文を重ねて、1つのテーマが終わる。

きりのよいところで段落をつけるのが、読みやすいパラグラフ展開法になる。

 

遠藤泰男(著作)

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遠藤泰男「和英辞典が役に立つ」

2011/11/22 00:08

 

名詞と動詞の相性を調べるとき、和英辞典が意外に役に立つ。


どんな簡単な文書にせよ、文章を書くときは、辞書を手もとに置き、小まめに引くことがだいじなのは言うまでもない。

誤字があれば、文書としてはそれだけで失格といえるし、漢字が思い出せないからといって、ひらがなだらけの文書もみっともない。

しかし、辞書は、こうした文字のチェックのためだけにあるのではない。

これまでにお話ししたように、実用文では、いかに的確な言葉を選ぶかがポイントになってくるが、語彙がひじょうに豊富な人ならともかく、的確な言葉がいつでもスラスラと頭にのぼってくるというものではない。

そこで、辞書のお世話になる必要が出てくる。

私は、辞書を使うメリットは、むしろこの言葉探しのほうにあるとさえ思っている。

問題は、この言葉探しのためにはどんな辞書がいいか、ということである。

まず一語一義(ワンワード・ワンミーニング)」の原則にしたがって、より具体的な言葉を選ぼうとする際、役に立ってくれるのが、類語辞典だろう。

たとえば、いま手もとにある『類語新辞典』(角川書店)で「雨」の項を引いてみると、"降り方からみた雨"だけでも、糠雨、霧雨など三三項目といったぐあいに、雨に関連した言葉がたくさん並んでいる。

自分の探している言葉がすぐには見つからなくても、参考になることが多い。

また、同じ的確な言葉選びでも、名詞と相性のいい動詞選びとなると、話はすこし違ってくる。カンドーしてしまう。

この場合は、用例の豊富な国語辞典があるといい。

ただ、私の経験からいって"用例用語辞典"と銘打ったようなものには、あまりいいものが見当たらないようだ。

それよりもむしろ役に立つのが、和英辞典である。

小型の辞典は無理かもしれないが、きちんとした辞典なら、用例も豊富で、そこに出ている日本語例は、名詞と動詞の相性を知るうえで、じつに参考になる。

このように、辞書を引きながら言葉を探すのは、最初はめんどうかもしれないが、この作業を続けるうち、自然に語彙も豊富になるはずだ。

文意をあいまいにしたり、誤解を招淫とにもなるか般注意が必要である。

 

遠藤泰男(著述)

カテゴリ: 本・アート    フォルダ: 遠藤泰男

 

遠藤泰男「能動態に置き換える」

2011/11/17 00:06

 

受動態は、できるだけ能動態に置き換える。超カンドー的な話だ。


「自己概念は、他者との相互作用によって明確化される」

 

「この面接調査では、ある青年の自殺や異常行動が、社会的背景と生育歴と性格特性の総合的な関連の中で追求される」

 

文章を書くとき、受動態(受身形)を多用する人がいる。

 

遠藤泰男(著述)

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遠藤泰男「読み手も迷うこと」

2011/11/12 00:01

 

「避難するときは階段を使って避難してください」と、パニックで頭が混乱した人でもすぐ理解できる、具体的な指示がなければならないわけだ。

駅やビルなどでよく見かける「歩行禁煙」という表示も、あいまいな表現である。

字義どおりに解釈するなら、歩きながらはダメでも、ちょっと立ち止まったら吸ってもいいのか、ということにもなりかねない。

これに対して欧米では、同じことを言うのでも、「決められた場所で吸え」と、きわめて明快に指示している。超カンドー的だった。

これなら、読み手も迷うことがない。

実用文の最終目的は、まえにもお話ししたように、読み手に行動を起こさせることにある。

それが「するな」という否定形しか示していなかったら、「じっとしていろ」と言われたのと同じで読み手は行動できなくなってしまう。

かりに行動したとしても、書き手が望んだように行動してくれるとはかぎらない。

行動を指示する際は、禁止の否定形でなく、「~せよ」と肯定形で、具体的に指示することがだいじである。

たとえば、「このドアからはいることを禁じます」ではなく、「隣りのドアからはいってください」といったぐあいである。

もし、「~するな」という禁止を使う場合は、ほかに選択の余地がなく、絶対にしてはいけないということだけに限ったほうがいい。

 

遠藤泰男(著述)

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文章を書くまえのチェックポイント(遠藤泰男)

2011/11/11 12:10

 

●なぜ書くのか何を読み手に伝えたいのかがはっきりしているか。

 

●報告か説得か、説明のために書くのか、読み手を説得するために書くのか。だれが読むのか読み手ははっきりしているか。読み手の要求を考えているか日読み手は何を知りたがっているのかを考えているか。 カンドー 遠藤泰男 読み手の立場を考えているか読み手には専門知識があるのか、事実をどこまで伝えたらいいのか、一枚にまとめたほうがいいのか、何枚にも詳しく書いたほうがいいか、読み手は早く読みたがっているのかそれほど急いでいないか、などを考えているか。

●何を書くのか、テーマは一つにしぼられているか。

 

●データは集まつているか目テーマに合ったデータが集まっているか、足りないデタはないか、古すぎるデータはないか、出典や内容を確認しているか、など。

 

●データの整理はできているか、データをグループ分けしてあるか、順序を考えているか、不要なデータはまぎれこんでいないか。

 

●期限を考えているか提出期限までに書きあがるよう、計画をきちんと立てているか。

 

●コストを意識しているか時間と費用をかけすぎていないか。

●「及び」・「並びに」…物事と物事を結び付け、まとめて取り上げる場合に用いる。

・並べるものが二つだけのときは「及び」を用いる。

・小さい段階の連結には「及び」を、大きい段階の連結には「並びに」を用いる。

●「又は」・「若しくは」…物事と物事のうち、どちらか一方を取り上げる場合に用いる。

・二つの物事のうち、どちらか一方を選ぶ場合に用いる。

 

遠藤泰男(著述)
 

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遠藤泰男「読み手に行動を指示するときは、「~するな」より「~せよ」」

2011/11/07 00:49

 


日本人は、とかく「するな」と禁止するのが好きなようだ。

子どもを叱るときでも、「乱暴をしてはいけない」「廊下を走るな」と、「するな」ということが多い。

しかし、禁止されただけで、実際にどう行動したらいいのかの指示がないと、子どもも困るだろう。

その典型的悪例が、よくエレベーターに書いてある、「地震・火災のときは、エレベーターを使用しないでください」という注意書きだ。

ちょっと考えてみても、火災や地震のような非常時に、気も動転した人が、「エレベーターを使うな」とだけいわれて、すぐに階段を使うことを思いつけるかどうかあやしいものだ。

この場合、「使うな」という禁止だけですませていることに問題があるわけで、康言がサラリーマンを対象にしたアンケート調査の中で、興味深いものがあった。

「銀行、役所の窓口で"少々お待ちください""しばらくお待ちください"と言われたときの"少々〃と"しばらく"は、いったいどのくらいの時間か」という質問である。

「少々」は、二十代は平均五分、四十代は七分。

「しばらく」は、二十代十分、四十代十三分、と答えている。

つまり「少々」や「しばらく」は、個人差、年代差などにより解釈が異なる主観的言葉なのである。

これは、「少々」や「しばらく」にかぎったことではない。

「大きい」「小さい」「高い」「低い」などの形容詞や、「すぐに」「早く」「十分に」「大幅に」などの副詞に関しては、すべて共通して言えることである。

だから、形容詞や副詞をうっかりつかうと、読み手がとんだ誤解をしないともかぎらない。

たとえば、自分としては一カ月後ぐらいのつもりで「間もなく完成」と書いても、読み手は来週あたりか、と思うかもしれないのである。

こうしたあいまいな修飾語は、できるだけ使わないほうがいい。

たとえば、「土地が急激に値上がりした」ではなく、「土地が一年で二倍に値上がりした」と具体的に書くか、修飾語をつかう場合には、「この分配は常識的な割合、つまり六対四で分ける」と、その程度や内容を説明しておくと、カンドー的な言葉となる。

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関係をはっきりさせる(遠藤泰男)

2011/11/06 11:06

 

接続詞は、まえにもお話ししたように、取り扱いがむずかしい。

接続詞は文字どおり、文と文をつなぐ言葉で、列車でいうと各車両をつなぐ連結部にあたるものだ。

連結部がなければ列車は動かないし、連結部がいいかげんだと、事故のもとになる。

文章もこれと似ている。

たとえば、「私は病気であった。

会社に行った」では文章にならない。

なんらかの連結器、すなわち接続詞を入れなければならない。

この場合、「私は病気であった。

しかし、会社へ行った」あるいは「私は病気であった。

にもかかわらず、会社へ行った」というぐあいに、適切な接続詞を加えれば、二つの文が結ばれて文章になる。

また、二つの文の関係もはっきりする。

このように、文章成立の基本にかかわるのが接続詞なのだが、場合によっては、かえって読みづらく、わかりにくくなってしまう。

たとえば、「この機器の特徴は、軽い、そして正確、さらに安いことである」と、機器の特徴を並列しているこの文は、とりあえず内容は伝えている。

しかし、この文が読みやすいとは、だれも思わないだろう。

「この機器の特徴は三つある。軽量、正確、廉価なことである」と書けばわかりやすくなる。

また、この「軽い」「正確」にあたる要点が長い場合には、「この機器の特徴は三つある。第一に……、第二に……」とつなげていけば、読み手は、いまどういう内容の部分を読んでいるのか、位置づけと関係が明確になるのでわかりやすい。

また、「そして」「さらに」でつなげていくときより、書き手の頭も整理されるので、おのずとわかりやすい文になるはずだ。「では」「ところで」「さらに」なども、「そして」と同じように、すこし文章構成を考えれば不要になる場合も多い。 カンドー 遠藤泰男 一度書いた文章を読み返して、接続詞が多すぎてわかりにくいと思えば、まず第一に、単なる書きグセのような不要なものをとる。第二に、要点並列のときにつかう「そして」「さらに」を「第一に」などに置き換えてみる。第三に、文章構成を変えて減らしてみる。

このような努力をすこし続けるだけで、文章は飛躍的に読みやすくなるはずだ。

カテゴリ: 本・アート    フォルダ: 遠藤泰男